信長に選ばれし町

安土とは

日本史上最強の変革者― 信長
安土は「天下布武実現の地」として
「信長に選ばれし都市(まち)」
安土城と安土城下町は、
信長が自らの政権戦略構想を
フリーハンドで設計・実現し
ようとした唯一の城と城下町
本能寺の変により安土城と
安土城下町は未完のまま歴史の
表舞台から消え去った・・・
信長は安土でどの様な日本を
作ろうとしたのか
安土城は「天下布武」の政権戦略
の基、天皇を迎え入れ天皇を
超えた存在として
天下に号令するための
城(宮殿)
安土城下町は「楽市楽座」による
自由商業都市
『安土城と安土城下町は
日本史上後にも先にも
無い全く異質な城と城下町』

歴史・地理

太古から人々の生活に適した地理であったことが窺われ、大中の湖遺跡出土遺物など見られるように弥生時代中頃には稲作が始まりました。古墳時代には沙沙貴山君一族が支配し、滋賀県の中で最大の瓢瓢箪山古墳が造られました。中世には近江の守護佐々木六角氏により観音寺城を中心に政治が行われ、日本で最初の本格的な天主建築と言われる“安土城”が戦国時代の英雄、織田信長により築城。まさに安土は歴史的な舞台となった場所でした。

自然・文化

西の湖を中心とした水路が入り組んだ水郷地帯は琵琶湖八景の一つに数えられています。湖に群生するヨシが織りなす風景や安土山、観音寺山などの豊かな自然、水路や湧水、港や城下町など日々の暮らしの中に息づいている歴史文化。四季の彩りを感じながら戦国武将の足跡を辿る社寺仏閣がここに在ります。

日本歴史において
稀有で特別な町

信長と安土

「天下布武」をめざした信長は、京に近く水陸交通の要衝であった安土をその拠点に選び、戦国覇者にふさわしい壮麗な安土城を築城しました。城下には楽市楽座を設け、全国から商人や職人たちが集い、人々が押し寄せました。街道や水路・港の整備などの都市開発も積極的に行いました。
日本初のセミナリヨ(神学校)が建設され、武家の子孫たちが西洋文化を学び、安土は西洋文化と日本文化の交流する場所としても脚光を浴びました。

安土と信長

日本史に安土桃山時代として登場し、信長ゆかりの町として知られる安土。今でも毎年「あづち信長まつり」が行われ、安土の誇りを感じることができます。また、織田信長は刀の鍔や織田家の旗印に当時の通貨、「永楽通宝」のデザインを用いていました。今日の安土にも信長の影響が見られ、安土町のご当地マンホールは「永楽通宝」のデザインが用いられています。

戦国ロマンに浸りつつ、信長ゆかりの地「安土」をめぐる!
おすすめの観光スポットをはじめ、歴史ある建築物、史跡、寺社仏閣など。
ぶらりと安土をゆっくり歩いて悠久の時に思いをはせてみては?
絶景スポットや郷土グルメなど安土の魅力を再発見できるかも。

安土について
日本史の時代区分に名を連ねる5都市のうちの一つ
奈良、京都(平安、室町)鎌倉、東京(江戸)、安土
安土は安土城跡をはじめ、旧安土町という限られた狭い地域に国指定史跡が5か所もあり、古代~近世に至る日本の歴史をリードした遺跡が重層的に存在するという、日本歴史において稀有で特別な町です。

国指定遺跡 
大中の湖南遺跡(原始) 
瓢箪山古墳(古代) 
老蘇の森(古代)
観音寺城跡(中世) 
安土町城跡(近世)